たゆたう世界
そういえば、最近ばんそうこうを使っていない。
ときどき指先を切ることはある。ささくれが深くなって血を出すこともある。でも、その程度なら数分乾かしておけばすぐ血はどこにもつかなくなるし、数分くらいならティッシュで押さえてても、もしくはまったく押さえずに宙に浮かしておくだけでも血は止まる。
今、段ボールのはしでピッと中指を切って、これも当然すぐに乾いてしまうから、ばんそうこうを探したりはしないけれど。
こうやって小さな傷を気にしなくなると、だんだん世界に対して感度が鈍っているのだなぁと思い知らされる。なんだか今の生活は、薄い膜に覆われた中でたゆたってるみたいな、暖かで柔らかで生きやすい。
もちろんこんなぬるま湯はすぐに冷める。
大学の学籍は休学という手でどうにか誤魔化しているが、来年3月には籍を失う。そうなれば、私はただの実家暮らしニートであって、年金の免除だか先延ばしだかの手が使えなくなるかもしれない。年金は高い。保険は今のところ親の扶養にあるが、その親が死ねば私は家も何もかも失う。喪主? 何をすればいいのかさっぱりわからない。
私は、「私は社会に対して不誠実だ」と思う。勤労納税を怠りながら、福祉と医療に頼っている。しかもそこに安穏としている。五体満足に生まれながら、なんともみっともないことだ。
しかも、それだけ優しい環境にいて、感性は毎日死んでいく。記憶力も曖昧で、昨日と一昨日の別もつかない。積み上がった本のタイトルを見て満足してしまい中を読まない。バカにも読めるような安っぽい娯楽本だけ読んで時間を浪費して満足している。
私はもっと学びたかったはずだ。もっとたくさんのことを知りたいし、もっと広い分野を知りたい。その知識欲すら、すでに私の心からはずいぶん遠いところに置きっぱなしだ。
なんだろうな、私は何をしたいのだろう。
少なくとも、今が最高で最善とは思っていない。もっと、どうにかしたい。どうすればどうにかなるのかなんて誰にもわからないから、とりあえず、興味のある分野の本を読みはじめようとしている。
今興味のある分野
プログラミング(特にC)、医療、医療事務、眼鏡師、応急手当て、経済、政治、世界史、日本史、建築、地理、民俗学、軍備、運輸安全委員会、フォークリフト、輸送、兵站、飛行機、服装、ミステリー史、哲学、宗教