多面体

日記

ともだちがきた 11/3 夜公演

浅草九劇にて上演中の「ともだちがきた」2021/11/0317:00公演を見た。以下は内容に触れて感想を書く。


前情報はほぼなし。三人の俳優、二人の登場人物、コイントスによる配役。そこだけ。



上演前にうちわを投げて配役を決めた。さらに服装もその場で決めた。


劇が始まってすぐ、ここは精神病棟の一室なのではないかと思った。「私」(登場人物の一人である)は上下ともに白の服装であり、畳敷きとはいえぽっかりと四角く切り取られた何の家具も調度もない部屋は、いかにも病棟の一室に思えた。「私」は畳に這いつくばり、アリが埃を食べるかを観察する。その時の、前触れなくいきなり大声を出す様は精神病によくあるそれをとてもよく表していた。いっぱいいっぱいまでたわめられた精神が、みずからも意図しない言動として顕れているのだ。彼は夏の畳の部屋で、ただ一人でいきなり大声を出し、暴れ、嘆く。(どうでもいいが、演劇人の突然の大声はほんとうに大声でかなり強い)

「暑いなあ」というセリフはあまりに陳腐な説明台詞に一瞬思えたが、すぐに思い直す。たぶんこれは反射だ。精神が限界の時、脳はただ感じたことをそのまま吐き出し、そのまま思いつくままの連鎖で言葉を繋ぐ。それはただ精神の崩壊を防ぐためだけの言葉であって、観客を想定した説明台詞ではない。


そこに「友」が登場する。自転車による登場。畳の上に靴で上がる非常識。二人の会話が空転し、噛み合わずにさらに大声が出る。自分の意思を通そうとする大声ではなく、やはりこれも反射で出る前触れのない大声。そして「友」もやはり精神がどうもおかしい。鬱が「私」なら、「友」は躁状態のようだ。自転車を乗り回し、おちゃらけたふりをして言葉を躱す。赤のTシャツに青のズボンという服装もそれをよく表している。そしてここで「理由にこだわる私」と「そんなのはどうでもいい友」の対比がある。これも精神病に由来するのだろうかとこの段階では思ったが、そういうわけではないようだった。


どうやら「友」は死んでいるらしかった。「私」はその死にかなり衝撃を受けている。そりゃ、多少精神面が不安定にもなる。

しかし、だからといって「友の死」というイベントより前の彼らがまともだったとも思いづらい。回想でもだいたい二人ともヤバかった。精神異常者の友情は、とてもユニークで強固なものになるのだ。私や私の友人もだいたい精神異常者だからよくわかる。


最初、「友」は平面になる、と言っていた。全てが平面に見えると。彼は圧死したのではないかと思った。トンネルか何かを自転車で通ってるときに、天井が落ちて、ぺちゃり。ぺたんこになった死体を恐れ、死=平面と解釈したのかと思った。が、まあさすがにそれは違った。


「海にいこう」という台詞は、いかにも陳腐だ。おそらく、きっと「私」はこういう時に何を言えばいいのか、正解を知らないのだ。正解なんてないのにね。だから創作物によくある台詞を言う。その結果として死ぬ人間の一人称証言が聞けたのは貴重だ。個人的にこういうのが好きだ。死ぬ人間の死ぬ瞬間を証言してもらうことなんて、不可能だからだ。肺の形でのぼっていくあぶく、美しいだろうな。


かなり間をすっとばすが、結果として彼らは剣道でぶつかり合う。彼らの共通言語がこれだったのだろう。「なんらかの戦い」によってお互いの魂に触れる、そのツールはなんでもいいのだ。おそらく、彼ら自身もそんなに剣道が人生で一番大事というわけではなくて、ただ二人の最大公約数が剣道だった、それだけ。彼らは狂人で、それゆえに友人もおらず心許せる恋人もおらず、その結果として二人だけの奇妙な依存を育んだ。


物語というのは、たいてい狂人か狂った世界かを出すととても面白くなる。特に短い物語はその傾向が顕著だ。そして、狂人が最後に少しだけ常人にも理解できる文脈で心情をあらわしてくれるから、観客はそれに寄り添えるのだ。


俺が生きた証拠が欲しい。なかなか万人に通じる理屈だ。本当に彼が何も遺せていないことが丹念に描写されているから、尚更響く。結果として、写真を撮って「友」は消える。そこに、写真という唯一のものを残して、自転車に乗って消えていく。


今回演じた役者は、「私」役は比較的大柄だった。それに対して「友」役はかなり細身だった。それが登場人物の性格にぴったりハマっているように感じ、さらに直前に決めたはずの服装まで、躁と鬱を表してとてもぴったりだった。「色っぽいほっぺ」も本当に色っぽかった。この奇妙なまでのハマり具合があまりに私に驚愕をもたらしたので、そのまま次の日のチケットを取ってしまった。金が無いのにバカなことをとは思うが、別の役者による解釈のバージョンが気になって仕方なくなってしまったのだ。後悔はしていない。


だんだんと言葉が散らばってきた。よくない。とりあえず書きたかったことは書いたはずだから、このあたりで切り上げよう。




「友」の靴、玄関に置きっぱなしじゃない?